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平松昭良の転機|受託開発を離れた数年間、私は何を考えていたのか

こんにちは、平松昭良です。

私の経歴を時系列でお話ししていくと、SIerでシステムエンジニアをしていた時期と、独立して製造業DXプランナーになった時期とのあいだに、少し説明の少ない期間があることに気づかれるかもしれません。職務経歴書のうえでは、あまり華やかな見出しのつかない数年間です。今回はその、あいだの数年間に、私が何を考え、何に悩み、何を選び取っていったのかを、できるだけ正直にお話ししたいと思います。今の私の仕事観は、ほとんどこの時期につくられたと言ってもいいからです。

他の媒体でも私自身のキャリアについてお話していますので、ぜひそちらものぞいてみてください!

平松昭良|製造業デジタル改革パートナー

平松昭良が直面した動かないシステムという壁

SIerでプロジェクトマネージャーを任されるようになった頃、私はある現実に何度も突き当たりました。それは、高機能なシステムを納品したにもかかわらず、現場でまったく使われないという現実です。

要件どおりに作り込み、テストもすべて通し、納品の時点では誰の目にも完璧に見える。お客様にも喜ばれ、検収の書類にも判をいただく。ところが数か月後、別件でその工場を再び訪ねてみると、現場は元の紙の運用にすっかり戻っていて、苦労して作り上げたシステムは、誰にも開かれないアイコンとして画面の隅に残っているだけ。こうした場面に出会うことは、一度や二度ではありませんでした。

技術的には何ひとつ間違っていないのに、現場では生きていない。この事実は、つくる側の人間にとって、静かに、しかし深く突き刺さるものでした。受託開発という立場では、納品した時点でお客様との関係はいったん区切りを迎えます。そのあとシステムが使われなくなっても、その様子を見届け、寄り添い、立て直していく仕組みは、そもそも契約のなかに存在しなかったのです。私たちは、作って渡すまでが仕事であり、根づかせることは仕事の外側に置かれていました。

この構造的な限界に、私は次第に強い違和感を抱くようになりました。良いものを作っているはずなのに、それが現場で実を結ばない。その理由が技術の外側にあるのだとしたら、技術だけを磨き続けても、この虚しさは消えないのではないか。そんな問いが、頭から離れなくなっていったのです。

つくる側から使わせる側への転身

この壁を越えるにはどうすればいいのか。長く考えた末に私が出した答えは、受託する側から思い切って離れて、システムを実際に使う側の会社へ入ってみる、というものでした。外から納品するのではなく、内側で根づかせる側に回ってみよう、と考えたのです。

当時、客先のひとつであった中堅の部品メーカーへ転職し、情報システムの担当と生産管理を兼ねる立場に身を置くことになりました。これが、私にとって決定的な転機です。納品して関係が切れるのではなく、導入したシステムが現場に根づいていくまでを、来る日も来る日も同じ工場で見届ける立場になったのです。

立場が変わると、見える景色はまるで違いました。うまくいかなければ、その責任は外注先ではなく自分にあります。現場の人に頭を下げて使い方を教え、嫌がられながらも入力をお願いし、それでも定着しなければ運用そのものを作り直す。この、当事者として逃げ場のない感覚こそ、受託の世界では決して得られないものでした。システムは渡して終わりではない。使われて、はじめて意味を持つ。その当たり前を、私は身をもって思い知らされたのです。

空白に見えた数年間は学び直しの時間だった

外側から経歴をながめれば、この時期は大きな肩書きも目立つ実績も少ない、いわゆる空白期間に映るかもしれません。輝かしいプロジェクトの名前が並ぶわけでもありません。ですが私自身にとっては、もっとも地に足のついた、濃密な学びの時間でした。

この数年のあいだ、私はインダストリアル・エンジニアリングや制約理論といった、現場改善の基礎を改めて学び直しました。エンジニア時代にはシステムの外側の出来事として、どこか他人事のように眺めていた業務そのものを、今度は内側から、自分の課題として理解しようと努めたのです。なぜこの工程に時間がかかるのか、どこに本当のボトルネックがあるのか。システムの話を一度脇に置いて、業務そのものと向き合いました。

技術はわかる、けれども現場の業務についてはまったくの素人だった私が、ようやく両方の言葉を少しずつ話せるようになっていったのが、この期間でした。エンジニアの言葉と、現場の言葉。その二つを行き来できるようになったとき、自分のなかで何かがつながった感覚があったことを、今でもよく覚えています。

ですから私は、この数年を空白だとはとらえていません。むしろ、今の仕事の土台のほとんどは、この目立たない数年間のなかで、静かに、しかし確かに形づくられたと感じています。誰に誇るでもなく積み上げたこの時間が、のちに私を支えてくれることになりました。

平松昭良が独立を決めた理由

使う側に回って、地道に改善を進めていくうち、私はあることに気づきました。同じように悩んでいる工場は、世の中に数えきれないほどあるということです。私が一社の中で味わった苦労も発見も、きっと多くの現場で繰り返されている。そう思うと、いてもたってもいられなくなりました。

一社のなかだけで完結させるのではなく、もっと多くの現場に、技術と現場の両方がわかる人間として関わっていきたい。そう思ったとき、独立という選択肢が、ごく自然に視界へ入ってきました。これが、2022年に製造業デジタル改革パートナーとして歩み始めた背景です。

あの動かないシステムの前で立ち尽くした日々がなければ、そして、それを内側から立て直そうともがいた数年がなければ、私はきっと独立を選んでいなかったと思います。遠回りに見えたあの期間こそ、私を今の場所へ導いてくれた、かけがえのない時間でした。

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